「種は記憶を運んでくれる船のようだ」と呟いたのは、今から12年前のことでした。新潟の山奥の廃校になった校舎の屋根までロープを張って、建物丸ごとごと朝顔で覆ってしまった夏が2003年です。その秋に大量
の種を収穫し、翌年からはその種が、私の展覧会ごとに美術館を覆うようになりました。
そして2007年、金沢21世紀美術館では「明後日朝顔プロジェクト」として全国13の地域が参加するようになり、地域と地域、人と人、去年と今年が朝顔の種で繋がり、「この種から全てが始まったなぁ」とじっくりと朝顔の種を見ていたときに呟いた言葉が「種は船のようだ」なのです。その言葉から「種は船」という作品が生まれて行きました。
金沢を皮切りに明後日朝顔に参加している地域が種の形をした船を作り始めます。金沢では室内に展示→横浜では海に浮かべる→鹿児島では人を乗せて曳航する→舞鶴ではエンジンをつけて航海に出る、と「種は船」は進化して行きました。
つい先日、久しぶりに「種は船」を製作する機会がありました。東京六本木の21_
21デザインサイトというギャラリーで行われる展覧会に「種は船」を出品することになり、当初は12年前に作った船を持って行く予定でしたが、入口が狭くて搬入ができず、3日間で造船することになりました。協力精鋭スタッフを動員し、戦時室内での製作です。
当時の図面をベースにしながら、2019年バージョンは船内に照明を仕込み、種の内部から明かりが漏れてくる種になりました。船が完成した夜に、姫路では明後日朝顔の集まりがあり、私も出席する予定でしたが、製作終了の時間と東京-姫路間の終電が間に合わず、テレビ電話を通
してギャラリーで完成した「種は船」を、姫路の会場に集まった明後日朝顔仲間に見てもらいました。すると異様に盛り上がり「姫路でも種は船をつくるぞ!」・・・種がまた、繋いでくれたようです。
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