日比野という名前はよくタイトルに使われる。この「日々の新聞」も最初は安竜さんがいわき市立美術館で行った「日比野克彦展」の際に作った、展覧会のペーパーカタログのタイトルが「日々の新聞」であった。それ以前にも「日々の時の流れ」というテレビ番組を日本テレビで私が案内役で行っていたこともある。いろんな人のスピーチや会話の中でも「やはり日々の行いが大切です」とか「日々の生活の中に…」とかが出てくると一瞬ドッキッとして、名前を呼ばれたのかと勘違いすることは度々である。
日比野の名前の由来は何処から来ているのか? 文字通りに行けば、日が当たる比較を野原でしている状況ということだが、お百姓さんだろうか?
日々野とよく宛名とか表記で書かれる事もある。私はこの間違いは、まんざら間違いではないかもしれない、と思ったりもしている。日々野のほうが状況はイメージしやすい。実際に日々野という名前の人もいる。日比という苗字もある。でも日々というのはお目にかかったことはない。
日比野を間違えて昆野と書いてきた人もいる。もっとすごいのは昆里予という表記である。これは一体なんと読むのだろうか? こんさとよ!?。いまどきで言えばこの名前は完璧に年金台帳漏れになるであろう。昆里予十兄立川???(克彦=十兄立川)。
話は日々の、に戻して、今年の10月に鹿児島県にある霧島アートの森で行う展覧会のタイトルが決まった。「日々の旅にデル。」である。これは県内の数箇所でサテライト的に作品を展開していき、移動しながら見るというものである。で、早速マークを考え始めた。「日々の」というのはひとつひとつの積み重ねである。それを…で現してみた。そして「旅」は水平線の向こうの山の向こうの、というイメージで、円弧
にちょっぴり山を付けてみた。「にデル。」は素直に→で現した。なんとまあ明快なひねりのないマークですこと。まあもうしばらく、日々の中で練ってみますか。
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