ラオスのポントゥン村の小学校に行ってきました。ここを訪ねるのは2回目。全校生徒250人ほどの学校の校舎は高床式の木造で、壁も床も隙間だらけ。端っこの教室の後ろの壁にいたっては壁ごとありません。以前来た時より傷みが激しく、大人が歩くと床板が音を立てて今にも抜け落ちそうな超年代ものの校舎です。
授業が終わり生徒たちが居なくなった教室で私が絵を描いていると、帰ろうとしていた子供たちが再び教室に集まってきて、珍しそうにその様子を見るのです。私はその教室の朽ちてしまいそうな建造物に絵心を刺激され、筆を走らせました。すると「あっ! 今ここを描いている、あそこを描いた…」などという子供の声が、身振り手振りを交えて聞こえてきます。
この子たちが絵に対しての興味があるには、理由があります。実はこの日の授業は1日中お絵かきの時間だったのです。日頃の科目には「美術」はなく、絵を描くという事はノートに落書きとか、好きなキャラクターを描くくらいです。しかしこの日は、日本から持ってきた絵の具や筆、街から持ってきた大きな白い紙で、友達の顔を実物大のサイズで描いたのです。「物を見て書く」ということが、子供たちにとっては日頃慣れていないことなのです。ここでの日常の描くという行為は、図的に記憶していたものをなぞって描くにとどまっています。
風景や人物という三次元的なものを観察して、それを二次元の世界に描画道具を使って視覚化するという事の思考回路、運動神経はあまり使われていません。またその行為が何の意味があるのかさえもピンと来ていない部分がありました。しかし1日かけて友人の顔を描き、校内に展示してみんなで見ると、現実の世界とは違ったもう1つの世界がそこに現れ、それを見ながら描いていた時の話、友達の話をする時間を創出することが出来たのです。私が当たり前になってしまっている絵を描くということに対して、絵を描くという事は何? ということを考えさせられるポントゥン村での時間でもありました。
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