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「種は船」という種の形をした記憶を運ぶ船の造船が舞鶴で行われている。これまでに金沢で3隻、横浜で2隻、鹿児島・種子島で各1隻の計7隻の「種は船」を造船してきた。舞鶴では3年計画で港に浮かべ出港して航海に出る計画を立てている。初年度の今年は、地元での仲間づくりから始めている。
舞鶴でつくるからには舞鶴の人達の手によって造船したい。舞鶴の人の手によって造船するならば、舞鶴の人達の記憶を運ぶ気持ちをそこに込めていきたい。この点がアートプロジェクトの大切な肝心なところである。
舞鶴には大きな造船所がある。海上自衛隊の基地でもあり、船文化に親しみのある人々が多い。とはいえ市民には軍港のイメージが根強くあり、港がそれほど親しまれている地域とはなっていない。港には赤煉瓦倉庫が10棟近くあり、そのうちの2つが文化施設に改装されているが、まだ多くの赤煉瓦は現役で自衛隊が使用していたり、放置されていたりする。このような赤煉瓦地域の再生が「種は船」の造船プロジェクトをこの舞鶴で行うきっかけとなっている。
舞鶴は日本海に面した京都府下の市である。京都駅から山陰線で2時間弱かかる。東京から京都までが新幹線で2時間強。乗り継ぎ如何で東京から4、5時間の所。9月からこのプロジェクトは実際に動き始めて、何度も舞鶴―東京間を往復している。日帰りもするし、朝いちの5時30の始発で舞鶴を出て、東京に出かけたりもした。考えてみると、アートプロジェクトの肝心なところは、どれだけ「通
う」か?ということとも言えるのだろう。もしくはどれだけそこに「居る」か?。
今回のこのプロジェクトでは「通う」ことは私が行って、「居る」ことは、日比野研究室を卒業した五十嵐靖晃に任せてある。彼は数多くのアートプロジェクトの現場を経験していて「居る」こと、つまりアートプロジェクトに於けるレジデンスアーチストとしてのその手腕は周りが認める人物である。舞鶴では五十嵐はドッグヤードマスター(造船所総責任者)と呼ばれている。
五十嵐の舞鶴における仲間づくりは、問題を抱えながらも着々と進み、10月16、17日の初年度のこの活動のお披露目の日を迎えようとしている。「種は船」もその人との関係が深まるとともに出来あがってきている。
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