遠くまで来たと思っていたら御釈迦さんの掌の上でした。
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明後日朝顔プロジェクトは新潟から始まって8年目になりますが、昨年は22の地域の参加となりました。しかしその中に私が住んでいる東京は入っていませんでした。「紺屋の白袴」というか、自分が暮らしている東京が明後日朝顔的には手つかずの状態というのはいかがなものなのか?
という疑問を感じる暇もなく、日常をせわしなく過ごしているのが実情でした。
考えてみると、アートプロジェクトを行うにあたり、東京を離れた時点から活動的なスイッチが入るという、まるで東京というところは土地でなく、アクションを起こす地域を俯瞰しているポジションであり、まるで宙に浮いた衛星の指令室のような存在だったのかもしれません。しかし私にとって東京と地域との関係はそれを望んでいたような気がします。
「ホーム→アンド←アウェー」方式というアーティスト活動を行う上での私の考え方があります。2つの地点を行き交うことによって互いのらしさが見えてくる。これは明後日朝顔が種という「記憶の乗り物」が人を乗せてこちらの意思とは関係なく動いた結果
生まれてきたものなのですが、参加地域が増え、多層的になってくる関係に埋まるのではなく、絶えず客観視できる立場でいたいという気持ちが働いていた結果
、東京での展開は自分の中で積極的に引き起こすものではなかったのだと思います。
しかしその敬遠策も通じなくなってきたのです。自分を取り囲む流れが変わったり、生まれたりするきっかけは、いつも人との出会いから始まるものだと、これまでの経験上実感している私は、東京以外の地域で交友があったM氏とN氏が東京で活動を始めたあたりから、地域限定の流れが逆流してきたことを認識しはじめてきたのです。もはや東京は俯瞰できるポジションではないのだろうか?
という東京の存在意義なども考えざるを得なくなってきました。
しかし一方では新たな視点も表れて来出したのです。それは「東京の中に日本がある」というフラクタル構造的な関係性です。私の知っていた東京は実にごく一部であり、東京を構成している地域性、そしてその関係性は日本の首都という名のもとにおいて覆い隠されていた実に多種多様な集合体であったのではないかという見方です。
今年から明後日朝顔が東京都千代田区にある廃校になった小学校で始まります。8年前に新潟で明後日朝顔を始めたのも廃校になった小学校からでした。なにかまた繰り返しているようなフラクタル構造的な気分です。
展覧会情報
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3331 Arts Chiyoda 「見るまえに跳べ」
2010年3月14日(日)〜4月11日(日)
12:00〜21:00
会場:3331 Arts Chiyoda
(東京都千代田区外神田6丁目11-14)
日比野は「HからAへ移動した時に起こること。」というタイトルで、エジプトや南米など遠くへ移動した際に現地で描いた作品を初めて展示します。
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(アーティスト) |
※紙面に掲載される画像はモノクロになります。 |
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