私が生まれたのは岐阜市矢島町という住所である。その矢島町の家には、今は誰も住んでいない。近くには伊奈波神社という岐阜市で1番の神社があり、毎年春には、伊奈波神社に参る「岐阜祭り」が行われる。しかし私の記憶は、生まれた家と祭りがつながっていない。岐阜祭りは知っているが、矢島町の家で岐阜祭りを迎えた記憶がない。
4月の最初の週末、その岐阜祭りに顔を出した。すると矢島町の人から声をかけられた。その呼びかけ声は「ひびのさん」ではなく、「かっちゃん」であった。私は矢島町の家に小学校に入学する前まで住んでいた。今から50年も前の事である。
伊奈波神社の参道に面する矢島町はみんなお揃いの法被を着て、山車の番をしている。今年は8年に1度順番に回ってくる山車当番である。桜が満開である。からくり人形の山車は参道に参る準備をしていた。
この日私は父親と妹と3人で来ていた。矢島町の日比野の家は父親が育った家であり、父親が母と新婚時代に過ごし、私を産んだ家である。父は山車を見ながら、岐阜祭りのことを話し始めた。
「神輿の上に乗ってやんちゃをしとったなあ」
初めて聞くエピソードであった。父親は矢島町の懐かしい顔を見つけると、自分の幼い頃の記憶を話し出した。誰も住んでいない家の事を矢島町の人は気にしていた。父親は私の事を「克彦」と呼ぶ。親戚
のおじさんも「克彦」と呼ぶ。親戚のおばさんは「かっちゃん」と呼ぶ。親戚
以外で「かっちゃん」と読んでくれるのは、矢島町の人だけである。
私にとっての矢島町は何なのだろうか?そして誰も住んでいない矢島町の日比野の家は、矢島町の人にとっては何なのだろうか?
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(アーティスト) |
※紙面に掲載される画像はモノクロになります。 |
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