左から母見音、父彰男、叔父尚悟
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墓石をずらすと、四角い口が開いており、小さな空間があります。そこから、4年前の母の骨が入っている白い袋が、見えました。その横に父の骨が入っている白い袋を置きました。お墓の役割があらためてわかりました。
墓石の前には父方、母方の親戚がいて、みんなでお参りをしました。父と母が最初に暮らした日比野家の実家は、岐阜市矢島町という場所です。岐阜城がある金華山にほど近い井奈波神社の参道を出たところにあります。その近くの料理屋さんで食事をとりました。
母は長女で下に5人の弟がいます。父は三男で姉と妹の五人兄弟。なので、母方の親戚
では、私がいとこの中では一番上ですが、父方のいとこが集まると、下の方になります。親戚
の平均年齢も母方が勝ります。長いテーブル席に、右側と左側で親戚
が対面して座ります。昔話に花が咲きます。
母には1歳年下の弟(庄吾)がいます。そのおじさんが話し始めました。
「日比野さんと姉のデートに、姉が俺を連れて行ったことがあった。なんで俺を連れて行ったのかとあとから聞いたら、弟を優しくしてくれる人かどうかを見たかった、それで、結果
、2人は一緒になった」と。
父は、母の弟たちの面倒をよくみていました。姉を慕う弟たちの兄貴でもあったのです。弟がいなかった父には、可愛い弟たちだったのでしょう。日比野の五人兄弟のうち3人はみな東京に出て行きましたが、長男の博一おじさんだけが、本家に残っていました。博一の長男の雄一が話しました。
「一番最初に長女が東京に行くと、次々と兄弟が岐阜を離れて東京に行くようになった。そんな時に、あやおおじさん(私の父のこと)は『俺が行ってまうと、兄貴が岐阜に1人になってしまうで、俺は岐阜におる』と言っとった」と。
そんな父の話をしながら、食事をしました。お寺の鐘が「ゴーン」と鳴りました。部屋の窓の向こうに鐘突き堂が見えます。いとこの雄ちゃんが「あのお寺の娘は、たみこの同級生やろ」。すると、たみちゃんが食事の手を休めて窓のそばに駆け寄って行き、鐘の音の方向に目をやりました。昔の記憶をたどりながら…。
「それにしても何時の鐘なんだろうね」 |
(アーティスト) |
※紙面に掲載される画像はモノクロになります。 |
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