昨年度1年間、東京のFM放送局J-WAVEの震災復興支援の番組のパーソナリティーを務め、東北の各地へ毎月、収録に出かけました。1回目には「日々の新聞」の安竜さんにもインタビュー。12回の取材で30人以上の貴重な声を聞くことができました。番組としての私の1年の役目が終わりましたが、先日再び南三陸の上山八幡宮の宮司の工藤さんが行っている「伝承切り絵・きりこ」を見に行きました。きりことは、白い半紙にお餅、鯛などの形を切り絵にして神棚に飾るというこの地域の伝統的なものです。お正月に氏子らに1つ1つを手作業で切り出して渡します。
きりこが生まれたきっかけを工藤さんが話してくれました。
「江戸時代の飢饉のときに、神棚にお供えするお餅とか魚が用意できなくなり、それでは神様に申し訳ないと、紙でその代わりとして作り始めました。東日本大震災以降は、このきりこを再び天災を乗り越える記しとして、伝えていきたいと考えています」
気持ちを形にして伝える。その白い紙に切り出された造形は、きりこのことを何も知らなくても、お餅の形、鯛の形を判別
できなくても、なぜだか、気持ちが「ふるっ」と「スルルッ」と「さっさささっー」と動きます。それは何故なんでしょうか。
工藤さんの話を聞いたからなのか、神社という空間での出会いなのか、それらの空気の振動をこの紙は吸い取っているような気がします。1つ1つの切り取った形が、切り抜いた穴から見える向こう側が、きり残された紙から透けて見える光の具合が、風に揺れる紙のささやきが、私たちはきっとそれらの全てを含めて、きりこを見ているのでしょう。
人はどうしてこんな力を得ることができたのでしょうか。この力はどこからくるのでしょうか。必然的に自然現象は生まれ続けてきている中での、人に棲みついた私たちの能力なのでしょう。
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