「種は船」という作品は、種の形をした船である。明後日朝顔の種が全国に広がっていくにつれて人もつられて移動する様子が、制作の動機になった。2007年は金沢21世紀美術館で3隻を制作した。名前は「莇平丸」「金沢丸」「明後日丸」。2008年に横浜トリエンナーレ周辺イベントで2隻。「Yokotori丸」「Y150丸」。そして鹿児島で「太陽丸」と「月丸」の2隻。鹿児島で制作するのが通算6号・7号となるのだが、この2隻はまだ完成してはいない。
6号の太陽丸は防水加工を施す作業が残っており、2009年2月に錦江湾に進水予定である。7号の月丸はまだ姿かたちもなく、私のデザインも出来ていない。しかし造船所は決まっている。それは種子島。そしてこの2つの船が出会う日も決まっている。それは2009年7月22日、皆既日食の日。太陽丸と月丸は洋上で出会い、重なり、その時皆既日食が起こる、という段取りである。
種子島には今は使っていない造船所があり、全てがそろっている。「種は船」を造るには実に相応しいところである。しかし肝心な人が十分に集まっていない。「作りたい!」という話は種子島の人と会うたびに聞こえてきて気勢は上がるのだが、実行に誰も移らない。太陽丸の出来具合を横目で見ながら、ついでに造ってくれないかなという「月」的な姿勢が垣間見える。のんびりしているという言い方もあるし、まあ自由でマイペースな土地柄である。
太陽丸を制作した造船所は、もともと南日本新聞の印刷所であった。大型印刷機があった場所の記憶を「種は船」に留めるために、船の船体表面には制作した当日の朝刊に色を塗って、モザイク状に細かく切って1枚1枚丁寧に貼り付けていった。キャビンのデザインは鹿児島のランドマークである桜島をモチーフにしている。
この7隻の数をもっと増やしていきたい。明後日朝顔の種が広がっていったように、「種は船」を見た人が、その想いを運んでいってもらいたい。次はどこにこの種が植えられていくのだろうか。楽しみである。
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(アーティスト) |
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