アウトサイダーアートという言葉が世に出始めて10年位
経つだろうか。障害者アートという言葉と同義語として使われがちだが、ちょっと違う。正規の美術教育でない環境から出てきた美術作品という捉え方が妥当だろうか。
このあたりのネーミングは障害者という言葉も含めて難しいところではあるが、1900年前半にヨーロッパでクレーとがデブッフェなどが見出してきた美術領域である。スイスのローザンヌにアール・ブルット美術館というこの手の作品だけを収集している美術館がある。日本にもボーダレスアートミュージアムNO−MAという美術館が滋賀県近江八幡市にあり、魅力的な作品を常時展示している。
その美術館主催の展覧会「飛行する記憶」が12月7日までNO―MAと近江八幡市内にある旧吉田邸という古い民家で行われている。そこに私も参加した。旧吉田邸にNO−MAから推薦のあった2人の表現者とともに私の段ボールで作った船とドローイングの作品が出品されている。展示空間は土間・上がり縁・和室・床の間などがあり、その間取りを生かして、私を含めて3人の作品をインスタレーションされている(【写
真】は佐久田祐一さんの作品と段ボール船が展示してある様子)。
佐久田さんの作品は言葉を切り文字で制作されており「つばめ・しずか・らくせき」など、その日の記憶から気になった言葉が色紙でコラージュされている。私の船も色紙でモザイク状に隙間なく船体を覆っており、どこか彼の作品と似ている。佐久田さんが船を作ったと言っても「なるほどね」と思ってしまうだろう。私自身でさえ、そう思おうと思えばそう思えるほどである。しかし違っているのは第三者(鑑賞者)を意識しながら制作したのかどうかというところなのだろうか。このあたりは本人と会って確認はしていないから推測でしかないのだが、もし無意識で行っていたとしたら、ある部分うらやましく思える。
この展覧会のタイトルにあるように、記憶を飛行させることが何の訓練もなくできる身体機能を持っているということは、美術にとっては障害ではなく優秀な能力といえるであろう。このような作品に接する機会をより多く持つことによって、美術という世界の理解がより広まっていくのではないかと思う。私も佐久田さんの住んでいる沖縄にいつか訪ねて美術の生まれる現場をみて、その世界の広がりに接してみたいと思っている。
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(アーティスト) |
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