地球という星に住んでいる私たち人間は、随分と長い間、この星の世話になっている。この星の環境に順応しながら、学習しながら生きてきた。人間の知恵の集積が現代の生活様式になっている。先代が残した知の財産を受け継ぎ、前へ前へと工夫を重ねて生きてきた。でも時々後戻りすることもある。足を踏み外したり、押し戻されたり。その原因には、人間の仕業であるものと、どれだけがんばっても太刀打ちできない地球という星の仕業のものがある。
前に進んでいる時は「このままいつまでも前に進めるのではないだろうか」と思ってしまう。過去に、いくつも後戻りしなくてはならなかったことがあった、ということを知りつつも、人間の知恵は地球という星の仕業に対しても、対抗できるレベルに到達しているような錯覚を起こす。
2011年3月11日の地球という星の活動は、北半球の日本という島国で起こった。1000年に一度というその活動は、地球という星にしてみれば「時々」という単位
かもしれない。しかし人間にしてみると、世代を重ねないと過ごすことの出来ない時間である。1000年前の地球の仕業が今の私たちに伝えられていたであろうか?
もしそうであったとしても、きっとそれは地球に対する畏怖の念の話として、伝えられているのだろう。
現実的にその自然の力を目の当たりにした今の私たちは、このことを1000年先の人間に伝えていかなくてはならない。これまでの何百万年の間に、地球各地で起きてきたこの星の活動の多くを、後世に伝える術も能力も私たちはもっていなかった。しかし今回の日本という島国で起きた地球の活動を、後世に伝えることが出来る能力を持った者たちが多く生活をしていたのである。
2011年3月11日に地球という星に生活していた者はみな、この日の事を伝えていくであろう。しかしより1000年先の人間たちの生活にしっかりと機能するものとして、形にして伝えることが出来るのは北半球の日本という島国に住む人々の体験を礎にしてである。人間はまだしばらくは地球を大家にしてこの星で住んでいかなくてはならない。
人間が1000年単位で、いや1万年単位でこれから地球上で生活していくには、2011年に日本で起きた地球の仕業を「地球からの人間への課題」として受け止め、今の状況を乗り越えていかなくてはならない。知恵と想像力を持って次の時代へ伝えていかなくてはならない。
震災によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、また被災された皆様にお見舞いを申し上げます。一刻も早い復興を願っています。
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