今年の桜がいつもの年より一層綺麗に見える。だからなのか、ここ数日、桜の木があるところを選んであえて、歩く日が続いている。自分が知っている限りの桜並木は、地下鉄をひと駅前で降りたりして、桜の下の空間に自分を放り込む。歩くスピードもいつもより遅い。ついつい携帯を見てしまいがちな状況でも、携帯はポケットにしまい目線は桜がある宙に飛ばす。いつも通
っている道でも、桜の木が1本でもあると、身体は通
り過ぎていくが、頭は桜に引き寄せられて前方不注意な姿勢になる。今年の桜がいつもの年よりきれいに見えるから。そんな言い方の裏にはいくつもの理由があることは、桜の国の人間ならば何通
りかの答え方を持っている
私はよく絵を鑑賞する人に対してこんな言い方をする。「絵を鑑賞していて、感動する絵があったとしたら、それはその絵がすごいのではなくって、見ているあなたにその力があるからだと思います。絵の具がキャンバスの上にくっついているだけの物なのに、その絵具の塊を見て、その色の集合体を見て、感動してしまうのは、あなたの中にその物理的な色の物体を解析して、感情に導く力があるからだと思います」
桜の花はきっと去年と同じだと思う。けれど見る人が去年とは違うから、去年より・・・とう言い方になる。とはいうものの、でもそれを差し引いても、確実に去年よりきれいに咲いていると思えるのは、きっと私だけではないだろう。
兎に角、私の周りのみんなが今年は桜を見る時間が多いという。見なくてはいけないと思うえるぐらい、磁力のように桜に引かれるのだ。それはまるで桜に意志があるように「私を見ろ」と言っているように。
桜を見ていて心臓の鼓動が早くなる。心臓の鼓動は絶え間なく打ち続けて…去年の春から1年が経ちました。
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