東京芸術術大学の卒業制作展が東京都美術館で1月末に行われた。絵画、彫刻、工芸、建築、デザイン、先端芸術の分野の作品が一堂に並ぶ。私も30年ほど前に、同じ場所で作品を展示した。今は芸大の教員として卒展を見回る。30年という年月は美術の世界にいてはたいした数字ではない。人間は3万年も前から絵を描き始めているのだから、今の学生も私もまったく同世代、同時代の作家といえる。まして同じ美術館で行う展覧会だから見え方もたいして何も変わりようはない。と思いきや、以前には全くなかったことが今年の卒展には起こった。それは展覧会の組み立て方、つくりかたである。
これまでは東京都美術館(通称は都美)と芸大の関係は、展示室を貸し出す側、借りる側というものであった。しかし今年からは協同して卒展をプロデュースしていく、という関係になったのである。こうなった背景には芸大と都美の連携事業「アートコミュニケーション事業」というものが昨年から始まったことがあげられる。この事業は東京都が都美をより開かれた場として来場者に提供していきたい、という趣旨があり、その研究実践のパートナーとして同じ上野公園にあり、敷地も隣接している芸大に協力要請をしてきたことに始まったものである。
この社会連携事業の芸大側の担当を日比野研究室で引き受けており、2名の芸大のスタッフが通
年で都美に貼りついてこの事業を行っている。一般
からのこの事業に参加するスタッフ(プレーヤーと呼んでいる)も80名ほどいて、これまでにない美術館の姿を目指して日々活動している。この事業の名称を「とびらプロジェクト」と言い、それを実行する人を「とびラー」と呼ぶ。
とびラーは卒展を都美で行うにあたり、学生からも展覧会運営スタッフ(通
称PandA=Produce and Action)を集め、一緒になって学生の制作現場を大学のアトリエで取材し、ネット上で広報した。卒展期間中は学生とのトークを企画したのをはじめ、ショップでは学生のスケッチを販売、展示を案内するツアーを実施した。さらに入り口にはコンセルジュタワーという独自の案内所兼シンボルタワーを制作して、東京芸大の卒業制作展をよりアピールしていったのである。
結果、これまでにない卒展になり、なぜ今までしてこなっかたのかが不思議なくらい、やってみて当然でしょと高い評価を得ることが出来た。30年は少しずつ動いていた。
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