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Katsuhiko hibino in Iwaki 2001
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 久しぶりに訪れる街に行った時、以前そこで過ごした時の記憶を追随するために、同じ風景を探すことがよくある。これは自分の縄張りを確認するために犬が片足を上げるような行為でもあり、きっと動物が持っている本能に近いもののような気がする。そんな行為を行う中でいろいろな感情が沸いてくる。
 覚えのある景色とか、消えかけていた記憶が蘇ってきたりすると…「以前と変わらないなあー」と喜ぶ自分がいる。何ゆえに嬉しいのか? きっとそれは自分がその土地にいなかった空白の時間に何も起こらず、今と過去の時間が縮まった感覚を味わえたからであろう。
 時間はコントロールできないし、過去に行ったりはできないけれど、この瞬間はタイムトラベリングが出来た気がする瞬間なのである。しかしその一方で「えーーこんなのなかった! 何だここは? 何処だここは? 確かこのあたりは…」と知らないものの存在や、覚えているところに来たつもりなのに方向感覚を失ってしまう瞬間に出会ったりすると、悲しいような気もするのだが、ちょっとワクワクもする複雑な気分になる。
 どうしてなのだろう。それはきっと、以前と全く変わっていなかったら、わざわざ来ることもなかったのかも、今じゃなくてもいつでもよかった、来なくても同じだったじゃない…という気分である。でも変わっていたからこそ、前と比較ができる対象を発見したからこそ、今回再び訪れた意味があり、新たな情報をプラス出来る喜びがある。
 しかしながら突然現れたものに違和感を覚え、今はもう消えてしまったものにもう二度と会えないという一抹の寂しさを感じたりもする。その劇的な変化から受けたショックは、突然タイムマシンに乗って時間を飛び超えてしまった気になる瞬間なのである。
 このようなことは一般の日常にもある。しかし変化が微妙であったり、変化のいきさつを目撃したりする分、受け入れやすくなり、受け入れている自分に納得したりもする。時には微細な変化に慣れてしまって気がつかなかったりすることもある。
 微細な積み重ねは月日が行う仕業であり、それが日々のくらしである。生きていることとは、うつろうことである。そんなことを、時の仕業がよく見える「久しぶりに訪ねる街」に行った後の、日常に戻った時に思った。
(アーティスト)




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