私の父は今年、年男。午年です。昭和5年生まれの84歳。生まれは京都ですが、すぐに神戸に移り住み、11歳までを神戸で過ごしました。父の話には神戸がよく出てきます。港の風景、大型客船、六甲山、三宮、阪神、阪急電車。神戸話は定番な語りとして私の中には常備品のように身近にあります。私も幼いときに神戸に連れて行ってもらい、その時のことを絵日記に書いた記憶があります。そんな神戸に、この正月、父と行ってきました。
まず最初に行ったのは、私が絵日記に書いた「神戸タワー」。タクシーの運転手に「神戸タワー」と言ったら「そんなのないで!」と言われてしまい。父も無言。しかし正式名称は神戸ポートタワーで、通
称はポートタワー。無事に思い出のタワーに到着。しかし開業が昭和38年のこの建造物は、父の神戸の風景には登場してはいなかったようでした。
海岸の様子は昭和初期とは随分と変わっているだろう、ということは容易に想像ができ、ならば山へと足を向けました。ロープウェーに乗り、布引きの滝という名所が見えました。すると「ここに小学生の時に遠足できたなあ」と父の一言。海辺は埋め立てられ人工島がいくつも造成され景色は一変していましたが、山の風景はさほど変化はしていなかったようでした。山のてっぺんからは自前の車いすからロープウェー降り場に用意してある電動車椅子に乗り換えて、坂道を下りながら、遠くには神戸空港が浮かぶ海を見て下山してきました。
2泊3日の旅は、遊覧船に乗り、南京街で食事をし、デパートで買い物をし、生田神社で初詣をして岐阜の実家に帰宅。数日後、父は日記帳にこの時のことを書き留めていました。その中に「十河に行きセーターを買う」の一文。私はそごうの元の名前は十河だとこの時に初めて知りました。調べてみると、十河からそごうになったのは昭和30年代半ば頃。10歳の頃の神戸と84歳の神戸の話が組合わさった、新たな父の神戸話が、また聞けそうです。 |
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