東京駅から成田空港に向かう電車の窓から見えてくるものは、次から次へと現れてくる木々と、その合間に見えてくる稲刈りが済んだ田んぼ。気がつくとグレーのまだら雲が窓の画面
の上部を占めていた。平たい宅地用の茶色い土の上にコピペしたように、白い壁で黒い屋根の同じ形の庭木のない箱型の家が10個ほど現れた。しばらく雑木林が続く。畦道が見えてきたかと思うと、神社の鳥居がこんもりした鎮守の森から顔をのぞかせる。「ここは日本です」とわかるポイントがこの中のどこかにある。木々の種類なのか。田んぼの佇まいなのか、家の形なのか、神様のすまいの様なのか。私の席の前には英語の会話が、通
路挟んで左隣には中国語の会話が聞こえていて、車両のなかでは私がひとときの異邦人。成田から飛行機に乗った先では立場が変わる。
海を越えると植生も変わる。花に種類があるように、人にも種類というものがあるのだろう。蟻の巣にも種類が違う蟻によって様式があるように、人にも巣の作り方の種類があるのだろう。それは教わるものなのか、教わってしまっているものなのか、それを拒否することはできるのか。大きなうねりがこの世の中にはある。今日はどうして電車に乗っているのだろうか。ちょっと昔に計画したことが今、現実になっている。自分が敷いたレールの上を走っている。そのレールはどこに向かっているのだろうか。
人は何かに頼って生きてゆく。多くの人に頼っていこう。頼り頼られ先を見る。先は見えないからみんなで同じ風景を遠くに見つけて、もしくはこしらえて、そこに向かって走っていく。そこに向かって道をつくってみる。誰も行ったことのないところだけれども、生き方の行き方のヒントは身近なところに道標があるはずだ。今日も今日のいくところに、いくべきところに、いきていくと自分で決めたところに「行ってきまーす」。 |
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