1万5千年前の洞窟壁画に描かれている動物の描写
とかを見て「上手いなあ」と素直に思う。アートの歴史はそれ以降、いろいろな表現を行ってきている。一般
的な学問は先人の業績を次の代に伝えることによって進化していくのだが、どうもアートはそれとは違うようである。つまりアートは進化できない領域のものであって、引き継ぐことはできない。よって、学問とは言えないものなのではないだろうか。もし学問であるならば1万5千年前のアートをみて、今と比べると「拙いね」となるであろう。
この数年、そんなことをなんとなく感じてはいた。なぜそうなのかは、あまり考えないでいたが、最近ちょっとまた気が付く点があった。アートは進化しないのではなく、人類が今も昔も同じ宿題を行っているのではないか、ということである。
例えば数学のように、1つの基礎的な問題を解決して、その公式なり、原理を使って次の難題に挑む。科学も医学もみなそうであろう。知識を積み重ねることができるから、限られた1人の人生の中でも先人たちが時間をかけて築いてきた知を引き継ぎ、活用して、より高等なものへと導いていくことができるのである。
しかしアートは他者の行ったアートを引き継ぐことはできたとしても、それを進めることは出来ないのである。地球上にこれまで誕生した人の数は、正確な数字は出ていないが200億とも450億とも800億人ともいわれる。この不確かな数字の間をとってざっと450億人だとすると、450億人が同じ宿題を行ってきており、その答えが未だ見つかっていないということである。
洞窟で壁画を描いていた人も、レオナルドダビンチもピカソも美大の学生も、小学生の絵も私も、皆同じ宿題をやってきている、ということなのだと思う。450億人が450億人分の答えをそれぞれ出してはいるものの、それはそれ、これはこれである。素敵な作品を見て素晴らしいとは言えるけれど、どんなアートであってもこの答えは間違っているとは言い切れない。それがアートというものなのだと思う。
「そんな答えの出し方もあるんだ」という驚きは時代の中でそのつど感じられてきてはいる。同じ宿題であっても社会の価値観が移り変わっていくと、人々が求める答え方は変化する。2012年日本においても社会状況が求めるアートが出す答えは、これまでのものとはまた違ってくるであろう。同じ宿題なんだけれど、ど、同じ答えは永遠に出てはこない。なんてことを考えたある日でした。
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